梅って、去年もこんなにはやくに咲いたかなあ、と梅の木を見上げた。
去年は、梅のつぼみが膨らんでいるのを毎日観察し、ひとつふたつ咲いているのを
見つけて夫と笑いあったのに、私は梅の変化に無関心だった。
少しづつ、ここにあるものすべてが日常の「あたりまえ」になりつつあることに、
危うさを感じる。
34年ぶりの故郷に、自然の美しさを実感したのに、また飽き飽きしていた
20代の頃の自分に戻ってはいけない。
享受していることがあたりまえになってしまい、感謝の気持ちが薄らぐ。
梅も水仙もつばきも、季節を違えず、自身の営みでそこにいるだけなんだけどね、
心癒される風景であります。
梅って、去年もこんなにはやくに咲いたかなあ、と梅の木を見上げた。
去年は、梅のつぼみが膨らんでいるのを毎日観察し、ひとつふたつ咲いているのを
見つけて夫と笑いあったのに、私は梅の変化に無関心だった。
少しづつ、ここにあるものすべてが日常の「あたりまえ」になりつつあることに、
危うさを感じる。
34年ぶりの故郷に、自然の美しさを実感したのに、また飽き飽きしていた
20代の頃の自分に戻ってはいけない。
享受していることがあたりまえになってしまい、感謝の気持ちが薄らぐ。
梅も水仙もつばきも、季節を違えず、自身の営みでそこにいるだけなんだけどね、
心癒される風景であります。
コメント