肉体と魂の関係

私は、肉体と魂の関係はすなわち「肉体は乗り物」、

「魂はその乗り物に乗っている人間(自分)」だということを

この見えない世界を受け入れるなかで学びました。

魂は空間を自由に移動できても、肉体がないので

痛みもなければ空腹も感じない。

肉体があってはじめて五感をもつことになり、

痛みや心地よさを感じることができ、複雑な感情が芽生える。

感動があったり、傷ついたり、病気になったり、けがをしたりすると、

肉体の大切さに改めて気づく。

「身体が資本」と言われるのも納得がいく。

母は認知症を発症していたが、ときどきなにかに引っ張られるのか

「こわいこわい。私を引っ張って」と手を伸ばしてくることがあり、

「大丈夫、大丈夫!私がしっかり手ばもっとるけん、心配いらんよ」と

がっちり手を握るとほっとしたように、また眠りについていた。

一方で、苦しさをもたらし、思うように動くことができない肉体から

離れたがっていた。

自分の魂はまた輪廻転生する、また新しい肉体を手にいれて、

今世でできなかったことをやってみようと思うのは、なかなか

難しい。

わかってはいても、誰でも見えないその先は怖い。

高木先生の自動書記をまとめた「堀り起こされた真実」のなかに

『安楽な死、悲惨な死の不条理』の項がある。

その中には

『善人が悲惨な死を迎えたり、血も涙もない極悪人が

安らかな大往生をとげる。これは外面的に見れば不条理だと思う。

(中略)霊の目をもって、そうした人々の最後の瞬間をみるならば

全く違うのです。(中略)肉体はむごたらしく傷ついていようとも

真の姿は違います。逆に悪人は大往生に見えても反対におそろしい

光景が霊の目には見えるのです。(中略)肉体の死を迎えたからと

いって放免してくれるわけではありません。』

と記されている。

「乗り物」に乗っている人間の「魂」も大事。

そしてその「乗り物」は、今世で自身がたくさんのことを学ぶために

輪廻してこの世に生まれ落ちるために手に入れた大切な肉体。

母は、肉体から解放されてのびのびと自由にあちこち飛び回っている。

私はもう少し、この肉体を労りメンテナンスしながら、感動し、

学ぶ心をもって進化していきたいなと思う。

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