思いをコントロール 気づいたこと

私は小学校に上がる前ころから、とても鼻がきいて耳も

よかったようで、いま○○さんがきた?とか、こんなことあった?

といったことをよく両親にきいていて、両親は驚いていた。

なぜなら、私が知らないはずのことがその前後に起こっていたから。

次第にとても気味悪がられるようになったので、あまり

言わないようにしていた。

友達と遊んでいるときは、これからこうなるからこうしよう!と

言って、いじめっこと鉢合わせしないようにしたり、自分が標的に

ならないようにしつつ友達をいじめっこから守ったり、遊びたい

仲間をタイミングよく誘い入れるのに成功したりして、これは

これで頼りにされたかなあ。

ある日、母が何気に「あんたは進化しとらん(進化していない)。

野生のカンが冴えとる」と言った一言に、「え?私は人の姿を

しているけど、本当はサバンナにいる動物??」とショックを受け、

はやく人にならなければと焦り、その感覚を封印した。(笑)

それから私は社会人になり、仕事は生産性と効率性を最重要視し、

左脳をバリバリ駆使。

それでも封印したはずの肌感覚は残っており、無意識のうちに

人間関係を良好に保つツールになり、その相関図が手に取るように

わかって、それは私がかかわる仕事に大いに役立ち、思い通りの

効率化や成果につながった。

でもそんな生き方は、私をとても疲弊させた。

ものごとは宇宙のルールで流れていて、自身の思いだけでその

道を作り替えたり、誘導してはいけない。

ひとにはひとの宿命や使命があり、ひとが造り上げた世界がある。

宇宙のエネルギーからみれば、私たちは、その長い歴史の流れの

ひとつであるけれど、そこには様々な人生があって、十人十色の

ひとの思いがある。

日本に古くからある言葉「なすがまま。あるがまま」。

私はこの言葉を「知っているのに放置。結局なにもしないんじゃん」と

低落な意味合いに受け止めていたけど、そうではなく、もっと

深い意味合いがこめられていることに気づいた。

ひとが頭で考えてひいたものごとのルートは、うまくいくときもある。

いや、関係者だけが、うまく解決したようにみえるだけ。

しばらくするとひずみが生まれ、崩壊する。

自然のルールにのれば、カチッとものごとがはまり、それぞれが無理なく

対応でき、穏やかに解け調和する。

なので、これに気づいた日から、思いのエネルギーのコントロールは

しない。

でも、わかってしまうことがある。

そんなときはどうする?

そんなときでも、自然のルールにのるときを真の愛をもって待つ。

そうすると、その時は必ず訪れ、穏やかに流れて調和する。

ということを学びました(^^)

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