ガーーーン。。これ、元にもどすのって、どれくらいかかるだろう。。
中央部分のピースが崩れた状態を見て、そう思ってため息がでた。
このアートジクソーパズルは、かれこれ10数年前に上野美術館で開催された
フェルメール展を観に行ったときに買い求めた。
展覧会は大人気。
入場規制がかかっていて、やっと辿り着いたお目当ての《真珠の耳飾りの少女》の絵は
想像していたより小さい印象で、黒山の人だかり。
近づいて鑑賞するのにとても時間がかかった。
一通りなんとか鑑賞したあと、通路に沿って歩いていくとミュージアムショップへ。
なにか粋な小物を探そう、と思って眺めているとジクソーパズルが目に入った。
ジクソーパズルが好きなわけでもなく、どちらかというと興味がない。
このとき、絵画のジクソーパズルがあることを知る。
そうだ。当時反抗期だった兄弟が家の壁をぐーで穴をあけていたので、せめて絵画を飾って
目隠ししたいと思っていた。
なのでどうせなら《真珠の耳飾りの少女》がよかったけど、《デルフトの小路》が
あったので、難しそう!と思ったけど、子供たちとやればはやくできるかも。。と思い、
購入した。
結構な大きさの袋を持って帰宅することになり、わざわざ混雑したミュージアムショップで
探さなくてもネットで買えばよかったと思った。
そして誰も手伝ってくれず、その年の年末年始の休み中に完成させた(笑)。
さて、本題。
私はジクソーパズルが得意でもないので、復旧に困難を抱いている。
こんなときどうするか。
予定を組んで、毎日数ピースづつでもわかるところからやってみよう。
ピースが固まっているところもあるから案外、短期間で復旧できるかも、と毎晩取り組んだ。
私としては「わかるところから」というのが、自分を追い込まない緩い作戦のつもりだった。
まずは、これ以上被害が広がらないようそっと額縁を外し、各ピースを動かさないように。。。と
よく見ると、ばらけたピースが正常な部分の下に潜り込んでいて、それを救出にするには
正常な部分も剥がすことになり、さらに被害が広がる(泣)。
自分が想定したとおりにはいかない。
私の「想定」は、ダメな例としていろんなビジネス本に書かれているけど、
本当に「自分都合で、しかも”~だったらいいな”」が前提。
ですので、すぐ壁にぶち当たり、チーンとなる。
見通しが甘い、といったらそれまでだけど。。
こんなとき、私はタイミングを待つことにします。
必ずそのタイミングはやってくるもので、その時に実行すれば、思いもよらず
スムーズにストレスなく進んでいく。
タイミング。
山に登るときもそう。振り返れば、夜行バス予約して、北アルプスの山へテント背負って、
よく行ったなと我ながら感心する。
それって、山に呼ばれているというか、来ていいよ行っていいよ、というサインじゃないかなと
思う。
山行は、テント場の予約がとれる、夜行バスの予約がとれる、天気が安定、登山道が
荒れていない、自分の体調がいい、そこへ行きたいなど、全てが揃って成り立つ。
どんなに行きたい山があっても、登山口へアクセスできないと、そもそも実現しない。
登りたい山はたくさんあるのに、なぜそこを選びましたか?と自分に尋ねても、
明快な答えは見つからなくて、「今回この時期はここかな~って思ったからです」という
答えになります(笑)。
それって、仕事上であれば「そんな根拠のない…フィーリングで仕事してんじゃねえ!」と
怒られますね。
なにかをするときも同じなんだと思う。
やるべきときの「タイミング」は、その事象ごとに必ずある。
今回のこともそう。
夫と私、定年まであと4~5年。定年退職を選択することもできたけど、
両親のこと、人生100年、自分たちの第2の人生をどうやって生きていきたいかを
家族で話し合い、退職しての転機となった。
これも、関係するひとたちに不協和音を響かせることもほぼなく、スムーズに
退職と引越ができた。様々な歯車がうまくかみあうと、こうなる。
自分のサロンオープン、周囲に告知するタイミング、もちろん壊滅状態にある
ジクソーパズルが復旧するタイミングは必ずある。
その来るべき時を「楽しむ」ことが大切なんだなと、改めて思います。
これもなかなかの苦行でありまして。
来るべき時を曇りなき眼でしっかり捉え、そのチャンスを掴むためには、
地味~にああでもない、こうでもないと考えたり、試したり、失敗したり、
うまくいったり、いかなかったり。
でも時間はたっぷりある。
これまでの生活スタイルとは180度違うから、焦る気持ちが自分を追い込む。
ジクソーパズルは少し進んだけど、高いところに置いていたのに、猫がジャンプして
パズルに乗り、移動する際、ほぼ全滅しました。。
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